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このページではアート作品をカテゴライズせず、1つの作品をピックアップします。傑作だけを厳選し、その作品が意味するところ、時代背景、完成されるまでのエピソードなど出来る限り深く掘り下げて紹介させていただきます。

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日傘の女性
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日傘の女性
クロード・モネ作、1875年作。米ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

グリーンの日傘を手に、草原に佇む女性はモネの妻、カミーユ。こちらに気づいて振り返ったその瞬間を、モネは独特の流れるような筆致で切り取っています。後ろに流れるヴェールはまるで風の動きをあらわしたかのよう。躍るようにそよぐ黄色の花々を、ヴェールの向こうのカミーユの表情を、その向こうでどこか退屈そうな息子・ジャンを、モネは愛情をもって描き出しています。この幸せなひとときを、永遠にカンバスに閉じ込めようとするかのように。足立区綾瀬美術館 annex

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無著菩薩立像
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無著菩薩立像【国宝】
運助作,194.7cm,桂材,寄木造,彩色,玉眼,鎌倉時代

日本肖像彫刻の最高傑作とされる鎌倉時代の彫刻。釈迦入滅後約千年を経た5世紀ころ、北インドで活躍し、法相(ほっそう)教学を確立した無著の彫刻で、弥勒如来(みろくにょらい)像の両脇に安置されています。2段に組んだ洲浜座(すはまざ)に、本尊側の足をわずかに踏み出して立ちます。無著像は老人の顔で右下を見、遠くを見ます。運慶の指導のもとに無著像は運助が担当したことが知られます。天平彫刻の写実性と、弘仁彫刻のたくましい量感とをあわせ持ち、強烈な自信にみちあふれる姿は、日本肖像彫刻の最高傑作にと言うにふさわしいものです。法相宗代本山 興福寺

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フィンセント・ファン・ゴッホ
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種まく人(種をまく人、農夫)
フィンセント・ファン・ゴッホ作,1888年,64×80.5cm,油彩・画布,クレラー=ミュラー国立美術館

後期印象派の画家フィンセント・ファン・ゴッホの色彩家としての才能が顕著に示される傑作『種まく人(種をまく人、農夫)』。本作は、強烈な陽光の輝きを求め訪れた南仏アルル滞在期(1888年2月-1889年5月)に制作された作品で、農民画家としてもよく知られている、19世紀フランス写実主義の巨匠ジャン=フランソワ・ミレーの代表作『種をまく人』に共鳴を覚え、同画題にて取り組んだ作品のひとつでもある。絵画を制作し始めた早い時期からゴッホはミレーが扱った画題≪種をまく人≫に強い固執と羨望の念を抱いており(ゴッホはミレーの『種をまく人』のエッチングを所有していたことが知られている)、画家自身、この頃書いた手紙の中で次のような言葉を残している。「種まく人を描くことは昔から僕の念願だった。古い願いはいつも成熟できるとは限らないけど、僕にはまだできることがある。ミレーが残した『種をまく人』には残念ながら色彩が無い。僕は大きな画面に色彩で種まく人を描こうかと思っている。」。このような言葉からも理解できるよう、1888年の秋頃に手がけられた本作で最も注目すべき点は過剰とも思えるほどの刺激的な色彩の表現にある。画面上部ほぼ中央には、強烈な光を放ちながら地平線へと沈みゆく太陽が配され、遠景の穂畑を黄金色に輝かせている。中景へは陽光の黄色と対比するかのような青色の凹凸の陰影が斑状に描き込まれる畑へ種を撒く農夫がミレーの『種をまく人』とほぼ同様の姿態で配されており、逆光に包まれたその姿には人間としての力強い生命力が感じられる。[テキスト引用: Salvastyle.com]

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パウル・クレー
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パルナッソス山へ
パウル・クレー作,1932年,油彩,カンヴァス,100x126cm,ベルン美術館

音楽か美術か、迷いに迷った末に選んだ絵画の世界。カンディンスキーら、青騎士のグループとの関わりなど、絵画の最先端を模索しながら独自の世界を築いたクレーが得た音楽の世界からのインスピレーション。もとよりクレーの作品には、音楽を想起させるタイトルがみられます。「赤いフーガ」、「ポリフォニーに囲まれた白」、そして「音楽家の楽譜」などなど…。そうした傾向があったとしても、比較的小さめの作品が多いクレーの絵画の中では珍しいこの大作に、あえて付けたタイトルが「パルナッソス山へ」。対位法の教科書として、数々の作曲家に使われたフックスの「グラドゥス・アド・パルナッスム」から取られました。ミューズたちの待つパルナッソス山への道は、いよいよこれから。その後のクレーを待ち受けたのは、ナチスからの亡命と闘病生活という苦難の道のり。しかし、クレーの創作意欲は衰えることがありませんでした。音楽から離れ、音楽から得たインスピレーション、そしてミューズのいる高みへ。画家の決意を示す、渾身の一枚です。

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ベルニーニ
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聖テレジアの法悦
バロック期のイタリア人芸術家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作,1647年~1652年,大理石彫刻

ローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂の壁面に設置された祭壇(エディクラ)の装飾彫刻群の中央を占める彫刻である。コルナロ礼拝堂は、当時の芸術家の第一人者だったベルニーニが内装のデザインから完成までを手がけた建物で、大理石彫刻、フラスコ壁画、絵画はすべてがベルニーニの作品となっており、これらコルナロ礼拝堂の美術作品はローマにおける盛期バロック美術の最高傑作の一つであると見なされている。

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モンドリアン
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太陽光の中の風車
ピエト・モンドリアン作,1908年,油彩,キャンバス,114 x 87cm,ハーグ市立美術館

オランダ生まれの画家。燃え立つ色彩が印象強い『陽光下の風車』。1909年の発表時には激しい反発を招き、一人の美術評論家をのぞいて、その反応は無視に等しいものであったといいます。熱烈な反応を示したイスラエル・クウェリーは次のように書き残しています。「ここにはもう一点、キャンバスがあなたの前にかかっている。そこには日を浴びる風車が描かれている。汝らはいまだかつてこれほどすさまじい色彩を見たことはない。 ── 中略 ── ここでもモンドリアンは、風車を美しい風車として描こうとしないし、色彩、空、光、樹々、あるいは大気を美しい空の色に描こうとしてもいない。彼が描こうとしたのは、太陽が最もぎらぎらと燃え立つ興奮の瞬間なのだ」。ゴッホを彷彿させる強烈な黄色と情熱的な橙色。風景画家・モンドリアンの頂点ともいわれる作品です。

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ミレー
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晩鐘
ジャン=フランソワ・ミレー作, 1858~59年 55.5x66cm パリ オルセー美術館蔵

ミレーは1814年、フランスの片田舎の農家に生まれました。敬虔なカトリック教徒の祖母の影響でミレー自身も篤い信仰心を持つ子どもとして育ち、絵が上手だったことから農家を継ぐのではなく、画家への道を歩み出しました。23歳からミレーはパリで画家としてなんとか生計を立てていましたが、描くのは肖像画か裸婦像ばかり。当時の画家の登竜門である国主催の展覧会、サロンへも出品はするものの、評価は一向に上がりませんでした。最初の妻は貧困の中で亡くし、2人めの妻とは子どもに恵まれたものの生活は苦しいままでした。そんな彼を変えたのが働く農民を描いてみたことでした。サロンにも出展され、好評を得ました。これを機に彼は額に汗して働く人を描くことを心に決めました。さらに、友人の画家の誘いで訪れたバルビゾンの村の風景がミレーを変えました。魅了された彼はこの村に移り住み、貧しい農民の姿を描き続ける決意をしました。そこにこそ生きる真実があると確信し、彼はそこに美しさを見いだしたのです。[テキスト引用: 世界の名画]

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マティス
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ブルーヌード
マティス作,ピカソと並び賞された天才画家最晩年の傑作

描かれているのは、ヨガのような複雑なポーズをとった女性の裸体。油絵のように見えるが、切り抜いた紙をキャンバスに貼り付けた切り紙絵と呼ばれる作品。使われた色は、静かで深い青一色のみ。「色の魔術師」と呼ばれ、その過激な色使いでフォービズムと呼ばれる色彩運動を牽引したマティス。理屈では収まらないマティスの色彩に、ピカソは終世嫉妬したと言う。ところが、フォービズムの先駆者として一躍時代の寵児となった矢先、突然彼はフォービズムを捨て旅に出る。現実にはあり得ないカラフルな色でキャンバスを埋め尽くす自分のスタイルに、疑念を抱き始めていたのだ。本当の自分自身の色を求めて放浪の旅に出た彼がモロッコにやって来たのは、42歳を過ぎた頃。北アフリカの強烈な光と色彩を目にした画家は、ここで色彩の持つ本当の力を知ることに。マティスがモロッコを訪れてから、40年後に描かれたもの。晩年、思いがけない悲劇に襲われ、ついには一切の絵を描けなくなってしまった画家が、人生の最後に取り掛かった作品。

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ジャクソン・ポロック
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インディアンレッドの地の壁画
ジャクソン・ポロック、1950年、油彩、エナメル塗料、アルミニューム塗料

アメリカの個人宅の壁画として描かれた作品で、特定の場所のために描かれ、実際に設置されたのはこれを含めて2点のみとのことです。後にパーレビ王朝時代のイランの所有となり、イラン革命の後は国外に出ることの無かった珍しい作品です。横2m以上の大作で、赤茶色の地のキャンバスいっぱいに隙間無くポーリングがされていて迫力があり、最後にかけたらしい黒のポーリングが画面を引き締めています。このようなアクション・ペインティングは評判ともなりますが反発も強かったようです。アメリカの有名なイラストレーターのノーマン・ロックウェルの作品に、縦だか横だか分からないオールオーバーの抽象画の前で首をかしげている紳士を描いたものがあります。また、作品をファッションモードの撮影の背景に使われて、「おれの絵は壁紙か!」と憤慨したという話もあります。確かに、何が描いてあるのか分からないのは事実で、その新しさがファッションの背景にされてしまうという危険は付いて回ります。

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ルソー
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ジュニエ爺さんの二輪馬車
アンリ・ルソー作、1908年、油彩,画布、オランジュリー美術館所蔵

1906年ペレル街に移転し、近所だった食料品店主のクロード・ジュニエ爺(じい)さんとその家族、そしてルソー本人が一緒に、新しい馬車で出掛ける様子を描く、集団肖像画である。貯まったツケ(借金)支払いの代わりに描いたらしい。青い(bleu) 空に白い(blanc) 雲、木々の爽やかな葉の緑 (vert et jaune)、目の覚めるような赤い(rouge) 車輪、白い(blanc) 馬と黒い(Noir) 服といった鮮やかな色彩が、皆の弾む心を見事に表している。しかし、奇妙な所が色々有る。人物は皆、置物のように体を正面に向けている。馬車の車輪が軸から外れ、溝に嵌(はま)っているため、路面と角度が合っていない。馬の前には驚くように小さい、虫ケラみたいな犬。馬車の真中から首を出している毛むくじゃらの生き物(これも犬)。この絵は、フラマールの森でジュニエ一家を写真撮影し、巻き尺で測り、それを元に描いた。にも拘らず、夢中で描いている内、美のオブジェが楽しく変化する(オブジェを面白く再構築する)。ルソー本人は、自分の絵はレアリスムだと言っているが、庶民による庶民のための、という意味では、そうである。どう描きたいのか、という意味では、楽しくって夢想的・幻想的=ソンジュ(songe)な世界ではないか? それが、ルソー自身の認識している"真実味"をカンヴァスに投影した結果なのだろう。

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ムンク
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病める子
エドヴァルド・ムンク,1896年,油彩,36.1x26.9

「病気と、狂気と、死が私のゆりかごの番をする黒い天使たちであり、生涯私に付きまとって離れなかった」後年ムンクは幼児期についてこう語っています。これは彼の作品に大きく影を落とすことになります。この絵「病める子」も其の一つ。ベッドに横たわる少女のモデルは彼の姉だと言われています。彼はこのモチーフを何度も繰り返し描いているそうです。少女の目に絶望のあまり泣き崩れる母親に対する思慕の情のような優しさがあり、死に対する覚悟、諦めと言う物も感じます。簡略化された室内、薄暗い部屋、真っ白な枕に紅い髪の毛に蒼白い顔、これらのコントラストをなす少女の姿に目を奪われる印象的な一枚彼は常に死と病に向かい合い、恐怖に苛まれ、次第に精神を病んでいきます。しかし、其の中から彼は次々と傑作を生み出したのです。[テキスト引用:ネット調教]

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レオナルド・ダ・ヴィンチ
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ほつれ髪の女
レオナルド・ダ・ヴィンチ,油彩,板(ポプラ)1506~08年頃,24.7×21cm,パルマ国立美術館蔵

厚さ1cmほどの板に褐色の油彩で描かれた伏し目がちの若い女性の肖像だ。口元などの巧みな陰影表現、ふわりと風に揺れる巻き髪の柔らかい線。憂いのある人物の表情が一瞬のうちにとらえられている。目は多くのことを語るというが、目が見えないだけに女性の心がとらえられない。謎が増し、心惹かれる。絵はただ大きければいいわけではない。縦横20cmほどの小さな絵画でありながら、すべての形や余白に無駄がない。濃密だ。並外れた描写力で、他の絵がかすんでしまうほどの圧倒的な存在感をみせている。本展の監修者でレオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館(イタリア・ヴィンチ村)のアレッサンドロ・ヴェッツォージ館長は「魂をも描かれている。ルーブル美術館(フランス・パリ)にある『モナ・リザ』よりもすばらしい」と絶賛する。[テキスト引用:**優しい出会い**]

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ジョルジュ・スーラ
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アニエールの水浴
ジョルジュ・スーラ,1883年頃,油彩,カンヴァス201x300cm

フランスの画家ジョルジュ・スーラの絵画(1883-84)。パリ北西部、セーヌ川沿いの町アニエールでくつろぐ人々を描いた作品。アニエールは労働者が多く住む地域。まばゆい夏の光の下、セーヌ川で日光浴をしたり水浴したりボート遊びに興じる人々が描かれていて、近代的な都市生活者の余暇の情景である。点描を駆使した新印象派の技法で制作された最初の代表作として知られる。ロンドン、ナショナルギャラリー所蔵。

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東山魁夷
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年暮る
東山魁夷,1968年, 日本画

大晦日の京都の街並みを描いた近代日本画の傑作。「京の家の瓦屋根の上に、しんしんと雪は降り積もる。おごそかな響きが鳴り渡り、長く尾をひく余韻を、夜の闇が深く吸い込んで、やがて静まりかえる。そしてまた鐘の響き‥人それぞれの想いを籠めて、年が逝き、年が明ける。」(『京洛四季』より「年暮る」 東山魁夷)。東山魁夷が「年暮る」を描いたきっかけは、川端康成の進言であった。「京都は、今描いていただかないと、なくなります。京都のあるうちに、描いておいてください」。鴨川・川端通りより東を見渡した京都の年末の雪景色を克明に描いた作品です。

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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
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雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道
ウィリアム・ターナー,1844年,90.8×121.9c,油彩

英国を代表するロマン主義の風景画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー晩年の傑作『雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道』。本作に描かれるのは近代化を象徴する(グレート・ウェスタン鉄道)の蒸気機関車が、雨の中で蒸気を上げ、テムズ川に架かるメイドンヘッド橋の上を渡る情景を描いた作品である。本作には画家の近代性への強い興味が示されているが、近代化に対して否定的であったか肯定的であったかは現在も議論が続いている(一般的には否定的であったとする説が強い)。迫り来る機関車の前には野うさぎが必死に横切る姿が描かれており、この野うさぎの描写によってターナーは速度を表現した。また画面左部分のテムズ川には一艘の小船が描かれており、野うさぎと共にこれらにも画家の近代化への何らかの意図が込められていることは明白である。なおこの近代性についてはターナーから強く影響を受けた印象派の巨匠クロード・モネが手がけた同画題(蒸気機関車)の作品『サン・ラザール駅』などとしばしば比較されている(モネ自身はターナーを「幻想性豊かなロマン主義の画家」と位置付けており、自身の立場と明確な区別をしている)。本作の色彩描写や筆触についても、画家の晩年期の特徴である白色の地塗りを活かし色調を高めた(アカデミックな手法とは一線を画す)独特の色彩や、己の手をも利用した即興的で速筆的な筆さばきが存分に堪能することができる。[テキスト引用:Salvastyle.com]

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岸田劉生
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道路と土手と塀
岸田劉生,1915年,56.0×53.0,油彩

1915年ll月5日に10日問くらいかけて描きあげたもので、劉生はこれを「クラシツクの感化」すなわち西洋の古典的絵画の影響から脱しはじめ、再び「ぢかに自然の質量そのものにぶつかつてみたい要求が目覚め」て生まれた風景画の一つに挙げている。そして再びじかに自然にぶつかるといっても、もうこの時は前の時代と同じになることはできないといって、次のように述べている。「何故ならこの時はもうクラシツクの強い感化を一度通り、猶またそれに浴しつゝあるからだ。捕はれから段々と離れたが、得るべきものは得てゐた。切通しの写生はこの事を明かに語ると思ふ。その土や草は、どこ迄もしつかりと、ぢかに土そのものの美にふれてゐる。しかしどことなく、古典の感じを内容にも形式にも持つ。自分はこの画は、今日でも可なり好きである。一方その表現法がクラシツクの形式にまだ縛られてゐる処があるのを認めるけれど、あの道のはしの方の土の硬く強い感じと、そこからわり出して生へてゐる秋のくすんだ草の淋しい力とは或る処迄よく表現されてあると思ふ」。劉生がその独自の写実様式を確立した作品で、彼の風景画の代表作でもある。[テキスト引用:文化遺産オンライン]

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Picasso
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腕を組んですわるサルタンバンク
パブロ・ピカソ,1923年, 130.8×98.0cm, 油彩・カンヴァス

ピカソの「新古典主義の時代」を代表する作品のひとつです。サルタンバンクは最下層の芸人のこと。定住して演技場に出ることはなく、縁日などを渡り歩き、即興の芸を見せます。曲芸などを専門とする職業的芸人の失敗者という意味もあります。サルタンバンクを描いたこの作品は、社会の周辺にいる人たちへのピカソの共感から生み出されたというよりも、むしろ芸術家自身の肖像かもしれません。ギリシア彫刻のような顔立ちは、そのことを暗示しています。画面の左側に人の顔のような線が見えます。さらに、科学的な調査によると、サルタンバンクに寄り添うように女性の姿が描かれていたようです。この作品の旧蔵者のひとりはピアニストのホロヴィッツです。

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